戦国武将の兜がムカデの武将とは?家紋や前立ての意味は?

端午の節句

戦国時代に活躍した武将の中でかっこいい鎧兜をまとっていた武将も多いです。

でももちろんかっこよさでデザインされたわけではありません。甲冑は戦をする時に着る正装みたいなイメージがありますが、それぞれの兜にはちゃんとした意味があるんですよね。

ムカデの兜には決して後ろに下がらないという戦に対する思いも込められています。

そんなムカデの前立てを使っていた戦国武将や、ムカデの家紋に着いて、またその他有名な武将の兜についてもご紹介します。

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戦国武将の兜がムカデの武将って?

兜に金箔の巨大なムカデをつけていたのは、伊達政宗の重臣で、知略の片倉小十郎と共に「伊達の双璧」と呼ばれていた、伊達成実です。

よく見ると黒い毛虫の前立てではないかという説もありますが、伊達成実は、兜の前立の他にも旗差物にムカデの絵を染め抜いた物を使用したりしています。

ムカデはとても凶暴で攻撃性が高いというイメージや、絶対に後ろに下がらない(後退しない)ということから使用していたそうなので、武功の縁起からいうと、ムカデの説の方が有力視されています。

また、戦神毘沙門天の使いとして伝わるのはムカデの方です。

伊達成実という人物は、「英毅大略アリ勇武無双」などと、実力を高く評価をされていて、伊達家ではNo.1の猛将でした。
そのため、戦には欠かせない人物とされていました。

伊達成実は伊達政宗の家臣でもあり、従兄弟でもあり、年齢も伊達政宗のひとつ下と同世代です。
5歳の頃から政宗の側近として仕えていたので、家臣というよりかは兄弟のような存在だったようです。

成実は、伊達家随一の武勇に優れた人物なので、政宗が行く戦にはほとんど全てに帯同していました。

そして、1646年に79歳で亡くなられます。まさに、武人といった熱い男でした。

ムカデの家紋に込められた意味って?

武家にとって家紋は、自分の出身地や地位など、自分の身分を証明するものとして用いられていました。

もともとは、天皇や皇族などが着物に施していた紋様を、自分達の牛車と他の人の牛車との見分けをつけやすくするために、着物にしかつけていなかった紋様を牛車につけ始めたのが家紋の発祥とされています。

そして、それまで家紋というのは天皇や皇族しか使っていませんでしたが、武将にも広まってゆきました。
それは、戦のときに敵と味方を判別しやすくするためです。

中には、文字の読み書きが出来ない武士もいたので、分かりやすい家紋が多くなったとされています。

また、戦で活躍すると褒美をもらえるので、自分がどのくらい貢献したかを見てもらうときの証明としても活用されるようになり、武将にとって家紋は、自分をアピールするものであり、とても重要なものでもありました。

ムカデ・毛虫紋

戦に向かう際に、決して後ろに引かないという強い意気込みや想いから、ムカデや毛虫の後ろに動けない動きと絡めて紋にしていました。

また、ムカデや毛虫は足がたくさんあることから、心を一つに戦に臨もうと家臣に伝える意味もありました。
さらにムカデは、凶暴で攻撃性があるので、強さを表して敵を威嚇する意味合いもあります。

ムカデ紋を用いた武将で有名なのは、武田信玄です。

武田信玄がいる甲斐の国は、特産物もあまりなく、農地も狭く資金を確保するのには難しい土地柄でした。
でも甲斐には資金源となる金山があり、ムカデは鉱山や金脈を司るカナヤマヒコの神の使者と言われ崇められていました。

さらに、財宝、金運、五穀豊穣と戦の勝利を導く、毘沙門天の使いと言われていました。
ムカデの家紋を武田信玄が使っていたのは、甲斐の国繁栄や民の幸せ、戦の勝利も願っての事とされています。

ちなみに、伊達成実もムカデ紋を使用していると言われていますが、成実は毛虫を家紋としていました。
その理由もムカデと変わらず、強さを見せて、敵を威嚇していたとされています。

ムカデや毛虫を家紋としている武将は、決して後ろに下がる事なく、国の富と繁栄のために、一生を捧げる覚悟が伺えます。
自分が前を向いて進む背中を見せて、一致団結して戦に挑んでいた姿が目に浮かびます。

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兜の前立てにはそれぞれ意味があるの?有名なのは?

伊達政宗

出羽国と陸奥国の戦国大名、伊達氏17代当主の伊達政宗は、三日月型の前立てが有名です。

三日月型の前立てには2つの意味が込められていて1つ目は、妙見信仰です。
妙見信仰とは、仏教の宗派の一つになります。

月派に属していた政宗は、鍬形に月を選びました。
また、月の中でも三日月にしたのは、シルエットが好きだったのと戦の際に邪魔にならない形だったからとされています。

2つ目は、秀吉のお気に入りになりたかったようです。
伊達政宗は、東北から天下統一を狙っていましたが、後に秀吉の家臣となりました。

真田幸村


大阪冬の陣で活躍して戦国時代を代表する武将です。真田幸村の兜は鹿の角と六文銭が有名です。
鹿の角を用いた意味は、鹿が古くから神の使いとして扱われている事が関係しています。

また、前立てとして六文銭を使っていたのは、戦死に対する覚悟の表明のためだとされています。

上杉謙信


生涯で70回戦に出陣して、敗北が2回だけという勝率の高さから「軍神」とも呼ばれていました。
上杉謙信の兜は太陽を表す「日輪」と「三日月」の鍬形が特徴的です。

「日輪」と「三日月」は妙見信仰の影響が大きく関係しています。
仏教に対する信仰が厚かったので、兜の鍬形として「日輪」と「三日月」の両方が使われました。

織田信長


楽市楽座や関所の廃止など斬新な発想で改革を行なった戦国武将です。織田信長の兜は家紋である「木瓜紋」と「御簾」が特徴的です。

「木瓜紋」は、地上の鳥の巣を表していて、鳥の巣から卵が孵化し小鳥が飛び立つさまを子孫の反映と捉えています。
また、「御簾」とは宮殿や寺院で使われるすだれのことで、神様に対する想いがあったとされています。

まとめ

武将の兜には、いろいろと深い意味が込められているんですね。

一目見ただけでわかるようになっているものが多いですね。しかし、ムカデの兜はリアルで良くできています。
毛虫となると尚更、ふさふさ感が何とも言えないです。

若干、気持ち悪いですが意味を知る事によってそんな気持ちも無くなりますね。

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