兜の前面に付けられた飾りを前立てといいます。前立ては、その武将の強さ、勇猛さを見せつけると同時に己の個性を身に付けるために、いろいろと工夫したものです。
命をかけて戦うからこそ、戦国武将はその覚悟を象徴し、戦場でも目立つ前立てを使ったのです。前立てのデザインには、いろいろとありますが、いずれも縁起を担いだものです。
中でもとんぼは、勝ち虫として多くの戦国武将が採用しています。
目次
甲冑にとんぼが気に入られていた訳とは?
戦国武将が多くとんぼを甲冑や兜に採用した理由は、とんぼが勝ち虫と言われ、縁起の良いものだとされていたからです。
とんぼの他には、ムカデも戦国武将から好まれました。ムカデもとんぼ同様、前進することはあってもけっして後退しないということが、武士にとって縁起の良いものとされたのです。
戦国武将の中には、ムカデの勇猛さにあやかろうと、そのデザインを採用している人がたくさんいます。戦国武将にとっては、ムカデは武士としての誇りを象徴するものだったのでしょう。
武田家では、「ムカデの旗指物」が採用されていました。ムカデの素早い動きと猛々しさを象徴したものだと言われています。この「ムカデの旗指物」を付けることを許された者が、「むかで衆」と呼ばれる使い番(伝令昇降)であり、武田家のエリートとして、豪の者の中から選抜されました。
伊達成実は兜の前立てにムカデを採用しています。ムカデにあやかろうという戦国武将も多かったのです。
兜がとんぼの人気の戦国武将は?
兜の前立てがとんぼの戦国武将として最も有名なのは、加賀百万石の祖、前田利家でしょうか。
前田利家は、織田信長の部下として手柄を重ね、豊臣秀吉から加賀百万石の大名に取り立てられた立志伝中の武将です。そのとんぼの前立ては、当時から利家の武勇を示すものとして有名でした。
その他では、武田信玄の部将だった板垣信方がいます。板垣信方は、武田信玄に仕え数々の合戦で手柄を立てた重臣です。武田信玄二四将の一人として、板垣信方が活躍したことはよく知られています。
徳川家康の部将だった本多忠勝も、とんぼの前立てで知られています。本田忠勝は、徳川四天王の一人に数えられる勇将で、徳川家康の天下取りに大きく貢献した人物として知られています。
これも見逃せない!戦に因んだカッコいい兜 3選
室町時代の末期から浮張りの発達によって、斬新なデザインの兜が登場しました。群雄割拠した戦国時代においては、戦国武将がさまざまな意匠を凝らした兜を採用し、こうした兜は、総称して当世風兜と呼ばれています。
その中には、戦に因んだ斬新なデザインの兜もあり、今から見てもカッコいい兜がたくさんあります。その中からベスト3を選んでみました。
第一位 蒲生氏郷
燕の尻尾をあしらったデザインの兜。流石に当代一流の武将といわれた蒲生氏郷らしい兜です。
今から見ると、どこの魔王かと見間違うようなデザインですが、それはそれでかっこいいものです。この兜で、三日月の前立ての伊達政宗と喧嘩していたのかと思うと、何かしら感動を覚えます。
第二位 真田幸村
赤備えの六文銭をモチーフにしたデザインが、斬新でカッコいい兜です。
名将といわれ、大阪冬の陣、夏の陣で徳川家康を震撼させた、真田幸村の真骨頂を象徴するものです。
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第三位 黒田長政
黒田長政は、黒田如水の長男で、父の跡を見事に継いだ武将として知られています。
父とは違って、知略よりも武勇が勝るというのがもっぱらの評判ですが、兜のデザインも長政らしいセンスの光る一品です。
まとめ
戦国武将は、それぞれに個性の豊かな甲冑を身につけることに、しのぎを削っていました。
とんぼをデザインした兜も、その一つの表われなのです。甲冑への人気は高く、兜への関心も高まっています。
ときには兜にまつわるうんちくを傾けるのも、楽しいことではないでしょうか。
端午の節句の兜を受け継ぐのは?注意することとメンテナンスは?!