節分

恵方巻きを食べる風習っていつから!?誰が全国に広めたの!?

節分にその年の幸運の方向である恵方に向かって、太巻き寿司を無言で一気に食べる風習を恵方巻きといいます。もともとは大阪を中心とした関西の風習で、今世紀になってから全国に広まったものです。

以前は節分の丸かぶり寿司とか節分の巻き寿司と呼ばれていたのですが、今ではすっかり恵方巻きという名称が定着しました。

今回は恵方巻のルーツなどについてご紹介していきたいと思います。

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恵方巻きを食べるようになった風習っていつから!?そのルーツは!?

立春の前の日の節分には、一年の厄払いに豆をまく豆まきが古くからの行事として全国的に行われていましたが、大阪ではそれに加えて、その年の恵方を向いて、太巻き寿司を丸ごと一本無言で食べる風習がありました。

そうすると願い事がかなうといわれ、人によっては目を閉じてあるいは笑いながら食べるという人もいます。

そのルーツについては、いろいろな説がありますが、江戸時代から明治の初め頃、大阪の商人たちの間で商売繫盛と厄払いの願い事として、「幸運巻き寿司」の習慣が広まったという説が有力です。

豊臣秀吉の家臣であった堀尾吉晴が節分の前の日に海苔巻きを食べて出陣し、戦いで勝利をおさめたという故事から始まったという説もあります。ただ、板海苔が登場いたのは江戸時代から後のことなので、伝説に過ぎないという見方もあります。

1800年代のある年の節分の日に、大阪近郊の申村、現在の此花区伝法付近の村人が集まり、巻き寿司を食べる際に切り分けるのが面倒なので一気に丸かぶりしたのが始まりだとする説もあります。

大正時代の初期には、大阪の花街で新香巻きを恵方に向いて食べるという習慣があったともいわれます。

1932年(昭和7)に大阪鮓商組合が「巻寿司と福の神 節分の日に丸かぶり」と書かれたチラシを配り、幸運巻き寿司の宣伝をしたというのが、はっきりとしたルーツになっています。

恵方巻を全国各地に広めた人って誰!?

節分に海苔巻きを丸かぶりする風習は戦争で一時途絶えていましたが、1970年代になってマスコミにも取り上げられるようになり、海苔業界、寿司業界を中心としてイベントも繰り広げられるようになりました。

全国展開の始まりは小僧寿しで、1980年代から縁起巻という商標で全国展開を行っていましたが、それほど大きなブームには成りませんでした。

その後セブンイレブンが恵方巻きという名前をつけて全国展開し、一気にブームとなりました。1989年に広島市で販売を開始し、1990年代には販売エリアを広げ1995年には西日本全体で販売し、1998年に全国展開したことで節分の恵方巻きが全国に広まりました。

さらに2000年代に入るとセブンイレブン以外の各コンビニチェーンの恵方巻きを売り出し、スーパーではダイエーが1980年代から関西地方で、1990年代から関東地方でも販売しています。ジャスコでも1992年から発売を開始し、デパートなどでも売られるようになりました。

2007年には日本全国で3000万本を売り上げ、翌年にはセブンイレブンだけで388万本、大手コンビニ3社で約700万本が売れる、全国的な風習になりました。

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やっぱりこれも大事!!おいしい恵方巻きの具材おススメ3選!!

節分の恵方巻きには7種類の具材を使うとされています。これは、家内安全、無病息災、商売繁盛を願った七福神にちなんだものです。

この7種類は地方や店によって違いますが、カンピョウ、キュウリ、伊達巻、ウナギまたはアナゴ、桜でんぶ、シイタケ煮、漬物というのが、一般的です。

他にも焼き鮭、カニ風味かまぼこ、高野豆腐、大葉、三つ葉、ホウレンソウ、生姜、菜の花、ニンジンなどが使われることもあります。
海鮮恵方巻きとして、サーモン、イクラ、海老、鮪などを具に使ったものも人気です。

具の中で大事なものは、ウナギ、伊達巻、漬物の三点です。この3種の具には吟味して恵方巻きをえらびましょう。

まとめ

恵方巻きは関東では比較的に新しい風習ですが、節分に一年の無病息災と家内安全、商売繁盛を願う、日本独自のうるわしい風習です。

今年も恵方に向かって、無言でかぶりつきましょう。

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